被害届という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ニュースなどでは度々、使われている言葉かと思います。
被害届の定義としては、犯罪被害に遭った方が、その犯罪被害に遭ったことを捜査機関(主として警察になるでしょう)に申告する手続、というように定義されます。警察署に行って、誰に何をされたという点を伝えれば足りることにはなりますが、一般的には、窓口にて書式が用意されており、提出の際に書面の形式で作成するよう求められることも多いようです。
ここでは、この被害届の提出が警察に断られる状況とその当否について検討いたします。
⑴犯罪捜査規範における定めについて
犯罪捜査規範61条
警察官は、犯罪による被害の届出をする者があつたときは、(中略)、これを受理しなければならない。
まず第一に、犯罪捜査規範は「規範」という名称にはなっていますが、国家公安委員会が定めた規則で、強制力を有します。故に、全ての警察官はこの規範の全ての条文に服する義務を負うことは大前提となります。
この61条は、要するに、犯罪被害者が被害の届出(いわゆる被害届の提出)をした際には、それを受理しないといけない。
また、その効果として、この届は捜査の端緒となるので、この記載によって犯罪があると判断する時には操作を行なっていくことになります。
⑵被害届の不受理について
ただし、実際の運用としては、この条文の反対解釈として、提出された被害届を受理しない取扱いがされることもあります。
すなわち、その一つ目は、これは理解しやすいですが「犯罪被害者本人以外からの被害の届出」です。条文上、少し理解がしづらいですが、「犯罪による被害の届出をする者」は「犯罪により自身が被害を受けたことの届出」という建付なのでしょう。これについては、全く無関係の者が提出することを弾くという点につき、合理性を欠くとも言い難いので、運用としては大きな間違いとは言い得ないでしょう。
問題は第二点目でありまして、すなわち「犯罪による被害」ではない、ということを理由とした不受理です。
こちらは、少し議論が必要かと思います。というのも。そもそも『犯罪』とは何か、であります。
⑶犯罪とは
刑事訴訟法256条
①公訴の提起は、起訴状を提出してこれをしなければならない。
② 起訴状には、左の事項を記載しなければならない。
一 被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項
二 公訴事実
三 罪名
刑事訴訟法によれば、刑事訴訟は検察官が起訴状を提出することで公訴提起となります。そこで行われるのは、「公訴事実」が認められるか、その公訴事実が起訴状記載の「罪名」に当たるかどうか、また、公訴事実を行った者が被告人であるか、それらを証拠から検討していくこととなります。登場人物としては、上記3点を肯定する方向(被告人が犯罪を行ったとする方向)で主張・立証する検察官、それらの主張・証拠に反論して、上記3点を否定する方向(被告人が犯罪を行ってないという方向)で争う被告人・弁護人、そして双方の主張や提出された証拠から最終決定を行う裁判官であります。
即ち、その公訴事実が「罪名」に当たるか=犯罪に当たるかを検討、判断する組織は裁判所であり、警察官はあくまで検察官側で提出する証拠を集める役割であり、この裁判手続きには直接関与しません。
より正確に言うならば、「犯罪」に当たるかを判定する権限はもちろん、その能力を持ち合わせていないのです。(もちろん、学歴や職歴によって個々の警察官が、その権能を持ち合わせていることはあり得るでしょうが、少なくとも、法令を基礎から学び、また法曹三者たるに相応しい研究を行うーーといった「犯罪に当たるか否か」を遍く全ての警察官が一定水準にて相応妥当に本質的に判断し得る仕組みは取られていません)
そのように考えると、警察官が「犯罪による被害ではない」と判断することは、我が国においては想定されていないという結論になるのではないでしょうか。
もちろん、明確に、犯罪ではないという類型はあり得ます。例えば、自然災害など。あとは、被害届の記載が理解不能な内容であるなど(それはそれとして被害届の受取拒否ではなく、何らかの対応が必要とはなりましょうが…)。
そのような極めて例外的な場合を除けば、「犯罪に当たらない」ということを即断することが果たして出来るのでしょうか。先に見た刑事訴訟の仕組みで言えば、「犯罪に当たる」ことの判定は裁判所が行います。また。「犯罪に当たらない」という事前判断として、検察官における起訴/不起訴の判断もあります。これは、検察官という身分自体、司法試験という一定の法令知識のあることを示す試験に合格したことが前提となりますし、また、刑事訴訟という法制度の建前として検察官が起訴(公訴提起)をしなければ刑事訴訟が始まらない=犯罪になるとの議論・判定の俎上に上がらないという建付となっていることから、必然的に許されることでありましょう。
その点、警察官による被害届の不受理は、特に制度上の裏付けもございません。殊に、法令の解釈については、厳に訴訟の場において議論・判定されるべきところ、この時点における足切りは本質的な問題を含みます(もちろん、誰かの行為を犯罪として処罰する刑事訴訟手続の始動に際して、被害届の提出というものが必須ではない、という点があるとしても、です)。
⑷少し古い記事ですが…
支援団体「被害届の不受理が25%」 実態を明らかにして性犯罪刑法改正の議論を(小川たまか) - エキスパート - Yahoo!ニュース
11月21日、法務省への要望書提出の前に行われた院内集会では、東京で性暴力被害者支援を行う「SARC東京」が、警察へ同行支援したケース242件(144人)中、被害届の不受理=25%、不起訴=5.5%、有罪判決=2.7%という結果を語りました。
被害届を受理しない理由の中で一番目立つのは「暴行・脅迫要件の壁」だったことも明らかにしています。
2019年の記事になりますが、性犯罪に限った調査とはなるものの、被害届の不受理が25%に及んだとの調査結果があるようです。実数や、またその中の不受理の理由ごとの割合も正確ではないようですが、「暴行・脅迫要件の壁」がかなり大きい割合を占めているようです。
ちなみに、「暴行・脅迫」ですが、
刑法176条(強制わいせつ)
十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上一〇年以下の懲役に処する。一三歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も同様とする。
同177条(強制性交等)
一三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。一三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
強制わいせつ罪・強制性交等罪の成立にはそれらの行為が「暴行又は脅迫」によって行われたことを明文で要求しています。被害届の記載からはこの認定が難しいため、同罪の成立を立証できない(=犯罪被害ではない)から、被害届を受理しないという取扱いなのでしょう。
ところで少し長いですが、この「暴行・脅迫」についての判断が示された最高裁の判決を見てみましょう。(最判昭和33年6月6日集刑第126号171頁)
最判昭和33年6月6日集刑第126号171頁
なるほど,所論引用の当裁判所判例は,刑法一七七条にいわゆる暴行脅迫は相手方の 抗拒を著しく困難ならしめる程度のものであることを以つて足りると判示している。し かし,その暴行または脅迫の行為は,単にそれのみを取り上げて観察すれば右の程度に は達しないと認められるようなものであつても,その相手方の年令,性別,素行,経歴 等やそれがなされた時間,場所の四囲の環境その他具体的事情の如何と相伴つて,相手 方の抗拒を不能にし又はこれを著しく困難ならしめるものであれば足りると解すべきで ある。そして原判決の判示するところも,第一審判決の認定した被告人等三名の判示午 後八時頃から翌午前二時頃までに亘る一連の行動によれば,被告人等三名が原判決が判 示するような善良純真な少女である本件被害者に対し,深夜他に人気のない判示校庭, 附近の公園等の環境を背景にして,同女の身辺につきまとつてその帰宅を妨げるため逮 捕監禁の手段にも等しい判示暴行行為をなしていると同時に,被告人等三名の集団的な 威力により場合によつては相手方の生命身体等に危害を加えるかも知れないという脅迫 的態度を暗示して脅迫した事実を認めることができ,本件被害者はこの暴行脅迫によつ て恐怖のあまり抗拒不能に陥り
太字にした箇所が少し大事になるのですが、強制わいせつ罪・強制性交等罪が成立するためには、それらの行為が「暴行・脅迫」により行われたことが必要で、その程度としては被害者の「抗拒を著しく困難ならしめる程度」、すなわち抵抗することがほぼほぼ困難な状況に追い詰めたことを要すると解釈されています(犯罪が成立しにくい方向で解釈されています)。
ただ、太字部分では、暴行や脅迫の外型的な態様等でのみ判断するに留まらず、そのような勢いが無いものであったとしても、具体的な状況によっては「抗拒を著しく困難ならしめる程度」と言えることがありますよ、と示しているのです。当然ですが、具体的な状況等から「抗拒を著しく困難ならしめる程度」と言えるかどうかは、検察官の起訴状の記載、主張、証拠や、被告人・弁護人の反論を経て、裁判官がどう判断するか、という手続を経るのですから、ただ警察官の判断如何で「被害届に書いてある記載では、強制わいせつ罪・強制性交等罪の『暴行・脅迫』とは呼べないよね」という結論は、本来は出せないものであると言えるでしょう。
⑸結語
以上から考えるに、原則として被害届には受理義務があると考えるべきでしょう。少なくとも、各刑法規定の条文の解釈に関わる箇所について、警察官の一存で「この条文に当たらない」と結論づけることは許されないのではないかなと思います。
ちなみに、刑事手続に精通する弁護士の中には、(そこそこの料金はかかるとは思いますが、)被害届の作成や、被害届提出に関する後方支援、特に警察署にて被害届不受理となった場合に担当官に電話をかけ、受理するよう圧力をかける、といった手伝いをしてくれる弁護士も居るとのことです。また、作成に関しては行政書士の方でも手伝ってくれる可能性もあるようですので、被害届の作成にお悩みの方は専門家に力を借りるのも良いかもしれません。